畑山隆則の超高速!驚愕のカウンター!昭和の名チャンピオン【ボクシング】

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日本ボクシング界は数々の世界チャンピオンを生み出してきました。

その中でも稀有なスピードとカウンターをとる上手さを兼ね備え、センスを見せつけて世界王者になったのが、日本41人目の世界王者「畑山隆則」(敬称略)。

ボクシングのスタイルはスマートだが、畑山はファイティングスピリットも素晴らしく、ボクシング史に残る数々の名勝負を繰り広げてきた、名勝負製造機人でもある。

そんな彼の半生を追ってみた。衝撃ノックアウトシーンは最後に!すぐに見たい方は目次から飛べます!!

畑山隆則の経歴・プロフィール

  • 名前:畑山隆則
  • 生年月日:1975年7月25日
  • 出身地:青森県青森市
  • 活動:プロボクサー
  • 所属:横浜光ボクシングジム
  • 階級:ライト級・スーパーフェザー級

小・中・高校時代

畑山隆則(敬称略)は青森県青森市、古舘町に生まれ小学生時から運動神経抜群で、中学に進学後は青森戸山中学で(新宿の皆様!青森にも戸山があるんですw)野球部に入部、エースで4番を任される。

一方でヤンチャだった兄の影響もあり、当時大流行していたヤンキー漫画「ビーバップハイスクール」に影響を受け、小学校高学年から他校へ乗り込み喧嘩を売っていたというw

そして中学在学中の制服は短ランにボンタンでビシッと決めていた!結構イケイケだったんですね。

高校はあの東北高校野球の名門【青森山田高校】に入学

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当時の山田高校はまだ甲子園出場経験もなく、超ヤンキー高校!&シゴキが凄まじいので有名だった。そして・・。

ある日、先輩がエラーして、ボールは外野へ転々と・・取りに行かなかった球拾いの1年生の畑山に「そこの1年サボってんじゃねーよ!!」と先輩。畑山は「なんでおめーがエラーした球拾わねえで、わーが言われねばまいねんズや!!」←一言一句この通りかは定かではないが、それをきっかけに綺麗に野球部を辞めたとさ。

ちゃんと言い返して辞めるあたり、すでにカウンターパンチャーとしての素質が・・・あ、関係ないですね汗

ボクシングを始めるため上京。辰吉丈一郎の世界戦がきっかけだった。

入学して一カ月、特待生で入部した野球部を辞め、どうしようと思っていた時、テレビで辰吉丈一郎戦を見た畑山。辰吉も昔はヤンチャだったという、テレビのアナウンスを聞きそこで・・

【俺ならもっとできる!!】

と思い、その日からボクシング雑誌を買い漁って、自分で行き先を決め、すぐ行動に移したらしい。天才ってやる事が違いますね。やっぱり。

が、本人はそう思っているからいいものの、周りは失踪事件並みの騒ぎになったとかならないとかwやっぱり天才ってやる事が違うw

ボクシングの名門・米倉ジムに入門

上京後、門を叩いたのが、ヨネクラジム

出典:wikipedia

そう、あのガッツ石松を輩出した名門である。当時も大橋秀行選手や川島敦志選手など世界チャンピオンを抱え、もちろん練習生の数も非常に多く、アマチュアでの実績十分な選手も多数。

住み込みの新聞配達やで朝は3時に起床、ヨネクラジムのある目白から近い大都市、池袋に新聞を配り、午後は練習、また夕刊を配り、夜には自主トレ。・・・黙々とトレーニングをこなすが、

ヨネクラジムで素人の畑山は見向きもされず、悶々とした時間を過ごすことになる。そんな中、新聞配達ではこんな事も・・

そんな畑山隆則の心意気が試される瞬間が訪れた。
雨の中を新聞配達していると、新聞が濡れて段々重くなってくる。
ある時、ドシャ降りの雨が降り、自転車をマンションの壁に立てかけて新聞をポストに入れて戻って来ると、自転車が倒れていて、水溜りに新聞が散らばっていた。

畑山隆則は、呆然と立ち尽くす。
「ナニやってんだ、俺は。情けねえ・・・・」
あまりにも惨めで、虚しくて、このままどこかに行こうかと思った。

「どこへ行く。逃げるか?ウチに帰るか?」
2、3歩、歩いたところで畑山隆則は、踏みとどまった。
「逃げるなんて男じゃない!」
「今の俺に、帰るところなんかないんだ」
畑山隆則は、倒れた自転車を起こして、グシャグシャになった新聞を拾い集めた。
それから、雨に濡れながら新聞配達を続けた。
雨水で汚れた新聞を、そのままポストに突っ込んだ。
後から、苦情の電話が凄まじかったという。
こんなやり切れないことが、2,3回はあったらしい。

 

出典: 男の伝説

15歳・・・。15歳なんですよ当時の彼は。僕は素晴らしいなと思います。

 

世界チャンピオン製造機・柳和龍先生との出会い

出典:youtube

そんなある日、いつものボクシング雑誌に「世界チャンピオン製造機」「柳和龍」の字を見つける。

するとすぐさま行動に移し、横浜光ジムへと向かいます。これがすごいですよね。一見支離滅裂な行動に写るし、世界チャンピオンになっていなければ、「じっと出来ないダメな奴」になるんですから。

しかししかし、それがカチッとはまります。しばらくして、柳先生が畑山にスパーリングをさせます。人生で初のスパーリングなのに、しっかりとカウンターを狙う、タイミングもいい。畑山に才能を見出した柳先生は

柳 「お前はなんでボクシングをやっている?」

畑山「僕は、世界チャンピオンになるために、青森から出てきたんです」ときっぱり言い切る。

柳「じゃあ、お前、俺と一緒にボクシングをやるか?俺と一緒にやったら、俺が必ず世界チャンピオンにしてやるから」

畑山が飛び上がって喜んだのは言うまでもない。

ここまで自分を盲目的に信じれるかな?おそらく99%の人は無理でしょう。類稀な運動能力&この自分を信じる力こそ畑山の最大の才能だったのかもしれません。

そしてに「世界チャンピオンにしてやっから」といったこのおっさんの方も恐ろしいw

日本ボクシング史に刻み込まれる名勝負の数々

畑山隆則は名勝負製造マシーン!

29戦24勝(19KO)2敗3分

これが畑山が残した戦績。世界チャンピオンになったのだから、もちろん立派な戦績である。そして・・。

日本ボクシング界において、日本人同士、または国内においての名勝負というのは、もちろんマニアックに突き詰めれば色々出てくるとは思うのですが、コアなボクシングファンならずとも唸らせる試合をしてきたのが畑山隆則だと思っている。

デビュー後、ポイントポイントで日本人同士の名勝負を繰り広げてきた戦歴をご紹介したい。

拳聖・ピストン堀口の孫 堀口昌彰戦 1994年9月19日

出典:youtube

ボクシング界の神【拳聖】の孫である、堀口昌彰(敬称略)。アマチュア出身で6回戦からのデビューのエリート。当時はライト級2位にランキングされており、新人王をとった畑山は一戦挟んでいるがランキングはまだ下位。

この時のマッチメイクとしては畑山陣営が思い切った!というものだったらしい。まだまだ実力的にも堀口の方が数段上。しかし畑山のチャレンジ魂が「堀口とやれ」と叫んでいたのでしょう。

とうじ無難な路線になってきていたマッチメイクの中では「ネームバリューのあるアマ出身の実力者」と「新進気鋭のカリスマ」。ボクシングファンにはたまらないカードだったはず。

大方の予想は「堀口断然優位」「勢いがいいほうにでれば・・畑山」だったそう。そして試合はというとコチラ

出典:youtube

畑山の圧勝です。堀口は何もできなかったという印象です。・・・が、実は違っていて・・

畑山は戦前、そして戦い終わった後も

 

「ボクシングじゃ相手にならない(してもらえない)からケンカのつもりでいきます」

「ボクシングじゃ遊ばれて終わると思ったんで、ケンカのつもりでいきました」

と相手を格上と認めた発言をしている。その上でこの戦いっぷりである。

この談話を聞いた堀口陣営の人たちの中には「なんて気持ちのいい奴なんだ!!」と畑山を賞賛する声も多数上がっていたという。

このあたり・・青森から上京してきた当初の勢いそのままですね!!w

双子イケメンボクサー コージ有沢戦 1998年3月29日

出典:sports navi+

12戦連続KO中のコージ有沢、弟のカズ有沢とは双子。そして、親父が有沢ジムの会長で・・。

『史上最大の日本タイトルマッチ』と謳われたこの試合。筆者ももう大人である東京にも住んでおり、この試合の情報も入ってきた。・・しかし今イチぴんと来なかったのを覚えている。

ま上記の様に何かと話題が多い有沢陣営が畑山とやるメリットは計り知れない。これは解る。しかし当時畑山はすでに世界のタイトルマッチをし、敵地でドローというもはや世界チャンピオンと同等の実力なのに、何で日本タイトル?と思っていました。

が、最近読んだ記事で新事実が(私にとってです汗)解ったのです!!

「僕は正直、気乗りしなかったですね。向こうは連続KO中で自信を持っていたんでしょうけど、すでに世界へ駒を進めている自分からすれば“格”が違うと思っていました。だからジムの社長にも言ったんです。『いくらもらえるんですか? 少々の金額では僕にメリットはありませんよ』ってね」そんな交渉の甲斐もあってか、この試合は両者に500万円のファイトマネーが約束され、さらに勝者にはもう500万円と高級車が贈られるという破格の条件が提示された。

出典:exite

なる程!わかりやすい!!!これを踏まえて動画をどうぞ!

出典: youtube

試合内容としては圧勝。

そして試合後の喜び方が・・「車捕ったド―!!!」に見えてしまいますww(畑山さん違ったらすみませんm(__)m)

さらに試合後のインタビュー冒頭で「有沢選手が予想以上に頑張って」と言っています。「有沢選手を責めないで」とも。多分本人たちは解っていてこの試合をしたのでしょう。

そう考えると有沢選手も、さらし者になる可能性も重々解っていて試合に臨んだという事になりますね。そして『史上最大の日本タイトルマッチ』に相応しい盛り上がりを見せていて。

ボクシングのエンターテインメントとしての可能性を見せてくれた試合という事でしょうか?

ボクシング界最高の日本人対決・坂本博之戦 2000年10月11日

坂本博之選手に関してはwikipediaにリンクしているので詳しく知りたい方は覗いてみて下さい。

幼少期に両親が離婚、親戚に預けられるが虐待を受け施設に入るという生い立ちをもったボクサーそのファイトスタイルは

普段の優しい性格とは裏腹に、孤高のインファイターと呼ばれていた通り、ピーカープースタイルで相手に突進し、相手のパンチを恐れず、ひたすら前に突っ込んでいき、パワーを活かした破壊力のあるパンチを相手に喰らわせ、壮絶な打ち合いを行うという、まさに、勇猛果敢なインファイトを展開する。

これは、「子供達(特に、自分と同じ様に児童養護施設に預けられたり、不遇な経験をした子供達)に、自分が戦う姿を見せて、生きる希望、勇気を与えたい。」という、坂本自身の願いがあるからである。

出典:wikipedia

そんな坂本選手に一目置いていたのが畑山隆則。

そこでヒルベルト・セラノ戦で世界王者に返り咲いたそのリング上で「次は坂本選手とやります!!」と宣言!!

プロレスじゃないんだから・・ボクシング世界戦でこれを言った畑山隆則はやはり只者ではない!最高だ!

もちろん、畑山としては彼の戦いっぷりや、オーラに一目置いていたはずだが、実はボクシングファンの間では世界チャンピオンになった事がない坂本選手の方が「畑山より強いんじゃないか?」と言う声も根強かった事もあり、それも面白くはなかったと思われ、この宣言に至ったのではないか?

この2年前、畑山は世界戦の防衛に失敗。即引退、芸能界へ進出している。しかし順調な芸能活動に反して満たされない心。血沸き肉踊るボクシングの世界…。時分はまだ燃え尽きていないのではないか?自問自答の日々。

そんな時、ごく近しいボクシング関係者から「お前と坂本の試合がみたいなあ」と言われ「坂本選手とやれるんだったらカムバックします」と復帰を決めた。それ程一目置く存在だったといえる

で、上記の世界戦で勝利、ベルトを用意して坂本選手を指名したのである。神!!!!

もうご存知の方も多いとは思いますが、坂本戦です。

出典:youtube

最後がシンプルなワンツーというのが・・なんとも・・泣かせます。もう文章はいりません。見て下さいませ。

超高速!驚愕のカウンター!カウンターとしては最高傑作

彼の魅力を書いていたら最後になっていしまいましたが、OPBFnのあたりかな?そんなに低いレベルの試合ではないです。これがカウンターとしては最高傑作ではないかと思うのがコチラ!

出典:youtube

彼の魅力を書いていたら最後になってしまった。

今も多くの日本人の世界チャンピオンが活躍していますが、なかなかこの一発は見れないのでは?やはり畑山の天才っぷりとセンスとスピードと、そして「持ってる」(古い?)男だと思わせる一発です!!

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