プロ野球 助っ人外国人列伝 その2「マット・キーオ」

スポンサードリンク

口髭が渋い、ハリウッド俳優も顔負けのいい男。実績も十分!2年連続2ケタ勝利も!

昭和・暗黒時代の阪神で獅子奮迅の活躍!

1985年の優勝を機に、以降は毎年のように最下位争いを繰り広げる阪神で黙々と投げ、2年連続で2ケタ勝利もするなど阪神の屋台骨を支えていたといってもいい、優良助っ人「マット・キーオ」投手

【現役当時のキーオ投手・懐かしい月刊タイガース】

 

MLBに入団当初はなんと内野手登録!!

キーオ投手はMLBにドラフトされマイナーに入団した1973年当時はなんと!!内野手登録。マイナー時代は鳴かず飛ばずで1976年に肩の強さを買われピッチャーに転向、翌年すぐにメジャー昇格。ピッチャーとしての適性があったのでしょう。

が、メジャーでの1年目・8勝15敗。2年目はなんと、開幕から14連敗を喫するという珍記録も達成してしまい、2勝17敗・・。これはなんと前年から28先発連続未勝利のMLB記録。昭和から現在にかけていまだ破られていない(はず)。

努力の人・キーオ

当然といえば当然。メジャーのドラフトにかかる位だから、少年時代などはもちろんピッチャーも経験していたはずだが、速いボールが投げれるだけで勝てる程メジャーリーグは甘くない。

しかしキーオは諦めませんでした。マイナーとメジャーを行ったり来たりの中、研鑽を積み、1980年には16勝を挙げカムバック賞を受賞することになる。そこから3年連続2ケタ勝利!そして1983年にはなんと名門ヤンキースに移籍。とうとう野球界の頂点ともいえるチームに入団。努力の人ですねえ。

しかし層の厚いヤンキースで登板機会を失うことが多くなり、成績も落ちた所に目をつけたのが阪神タイガースである。

昭和60年代当時、泥沼状態だった阪神へ入団

当時の阪神の状態は昭和からのプロ野球ファンなら誰でもご存知!(阪神ファンの皆様ごめんなさい)。ある年の開幕前のテレビ番組で「阪神が40勝するのは何月何日!?」というクイズがあり、回答が8月30日!とか、10月!(ペナントレースが終わってますがな)と言ってたのを思い出すくらいの状態です!その中で投げ続け、勝つのです。

次ページへ続きます

スポンサードリンク