昭和プロ野球、助っ人外国人列伝 その4「呂明賜」

スポンサードリンク

記録より、記憶に残る助っ人。みなさんご存知【呂・明賜】

当時、巨人の打線に絶対に欠かせないクロマティ。そのクロマティがデットボールで長期欠場に追い込まれたその時・・颯爽と登場!

昭和生まれのプロ野球ファンの皆さん!、そうです。【ろ・めいし】選手です!懐かしいですねえ。突如として現れ、ホームランを量産!!衝撃的でしたねえ。

【現役当時の画像】

1988年にドラフト外で読売ジャイアンツに入団。

当時の日本プロ野球の外国人枠(1軍)は2人迄。その時のジャイアンツの助っ人といえば、ランディ・バースと並び、助っ人外国人知名度ランキング1・2を争う(←あくまでも私見です!w)あの「クロマティ」!

そして今を時めく芸人の名付け元ともなったガリクソン(ガリガリガリクソンさん、違ってたらごめんなさいm(__)m問い合わせフォームから苦情下さい!w)(・・話題になってしまいましたね・・2017/05/16追記)

開幕当時、呂 明賜の位置づけは「第三の外国人」。

メジャーリーグや日本のプロ野球と比べるとランク的に落ちる台湾出身という事もあり、あまり期待されていなかったのは間違いない。その呂に転機がやってくる!クロマティがデットボールで長期欠場に追い込まれ、先発出場の機会が訪れたのである。

ハングリー精神がなせる技なのか、今で言う「もってる」男だったのか・・なんと初スタメン出場から9試合で7本塁打を放つのである!!

【独特のクラウチングスタイル】

出典:youtube

ベースに覆いかぶさるようなクラウチングスタイルの構えから、フォロースルーがとても大きい力強いスイング!日本的でも、はたまたメジャーっぽくもない呂 明賜、

台湾独特と言っていいフォーム!野球少年だった私には新しいスタイルのホームランバッターが現れた瞬間でした。この豪快なスイング!!

次ページへ続きます

スポンサードリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です