【昭和・レトロ】ととねえちゃんで一躍有名に。表紙のイラストのタッチが印象的な【暮らしの手帖】

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鮮やかな色彩でどこかほっとする表紙の挿絵が思い出させる「暮らしの手帳」

 

雑誌『暮しの手帖』は、NHK朝の連続テレビ小説『ととねえちゃん』で、一躍有名になりましたが、昭和生まれの皆さんの傍らにはこの「暮らしの手帖」あったはずですよね。ちょっと創刊からの歴史を辿ってみました。

暮らしの手帖の歴史

1946年創刊・「スタイルブック」が前身

1946年創業の衣裳研究所が暮しの手帖社の前身。ととねえちゃんのモデルでもある大橋鎮子、花森安治コンビで創業と同社のホームページにあります。

戦後間もないころから、人びとの暮しに焦点をあてて、少しでも暮らしやすく、住みやすくと発行を続けてきた雑誌です。また、広告、宣伝を載せず、独自の商品テストでメーカーに対してもきちんと提案する姿勢でも知られています

さて、パソコンで「くらし」と打つと「暮らし」、「てちょう」と打つと「手帳」と表記されるのが普通でしょう。でも、「くらしのてちょう」は、「暮らしの手帳」ではなく、『暮しの手帖』なのです。

 

衣装研究所・デザイナーらしい感性で「手帖」に決定

 

ここに創刊からの編集長花森安治のこだわりがあるようです。
常用漢字(当時は当用漢字)で決められた表記がどうも感性にしっくりこなかったようなのです。そのあたりのことをどの号かで読んだ記憶があります。

このような一見根拠の無い(失礼!)、どうでもよさそうなところにアンテナが立つのが一流のデザイナーや、芸術家なのでしょうか?直接的には関係ないのかも知れませんが、創刊より半世紀たった今、こうして注目させるのですから、凄いですよね。

都会の暮らしも、田舎の暮らしも、暮らしの手帖はみんなを繋いでくれた。

さて私にとって『暮しの手帖』との出会いは、母の実家で、この雑誌を手にしたことでした。

そこには、私が住んでいた農村の暮らしからは想像できないような、当時の言葉で言えばハイカラな都会の暮らしが詰まっていました。

『ある日本人の暮らし』というシリーズがありましたが、そこに取り上げられた家庭では、奈良の女高師(奈良女子高等師範学校 現奈良女子大学)を出たおばあちゃんが、オルガンを弾いていたり、お父さんが車を運転していたりするというものでした。当時の私にとっては衝撃でした。

でも暮らしの手帖はそういったお宅だけ取り上げていたわけでなく、もちろん庶民の暮らしを応援してくれた雑誌です。程なくして私の家でも『暮しの手帖』を購読するようになりました。

結婚の際は、暮しの手帖版 『お惣菜12ヶ月』という料理の本を買ってもらいました。

 

 

結婚して義姉の嫁ぎ先を訪ねた折、この本に載っていた、豚肉のくわ焼という料理が出され、ああ、お義姉さんも暮しの手帖の読者なのかと、親近感を持ちました。

 

子供が生まれたら、『スポック博士の育児書』を買ったりと、暮しの手帖の思い出はキリがありませんが、特筆すべきはやはり、『戦争中の暮しの記録』でしょう。
これは今も大切に保管してあります。

出典:ぐるりや

いつの頃からか、何となく『暮しの手帖』がつまらなく感じられるようになりました。
暮しの手帖にしかなかった情報が、他の雑誌でも得られるようになったこともあると思います。
世の中が暮しの手帖に追いついてしまったのです。

暮しの手帖は、もう、その役目を終えたのではないかと思うようになり、購読もやめてしまいました。
最近、大幅なリニューアルが行われたようです。
戦後の暮らしについての企画も進行しているらしいので、期待しています。

筆者K・T

 

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