Jリーグ創設期の大物助っ人【ビスマルク・バレット・ファリア】

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Jリーグが創設された1993年、当時最強を誇った川崎ベルディに加入したビスマルク(当時24歳)。ブラジル出身で1990年のワールドカップイタリア大会にも参加した、バリバリのブラジル代表選手であった。

【ヴェルディ時代のビスマルク】

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それほどの大物なのにサッカーを知らない私のようなレベルだと入団した事すら知らなかった。それは創設時のjリーグには「超」つく大物助っ人が続々加入、活躍していたからであろう。

【ジーコ】 ブラジル代表 背番号10

【ゲーリー・リネカー】 ワールドカップ得点王

【ピエール・リトバルスキー】ワールドカップ優勝1回・準優勝2回

これはすごい。今では考えられない。私の本業の業界でもある事なんですが、これは完全に「開店景気」ですな。

 

最初の知名度こそ彼らに劣っていた(私見)ビスマルクですが、日々のプレーでサッカーファンのみならず、たくさんの人々を魅了していった。私の記憶と印象に残っているのはなんだか無駄に痛がる選手が多い中、彼はそのような事が少なかったのではないかと思われ、サッカーを知らない人にもサブリミナル効果のように、知らず知らずのうちに好印象を与えていたのではないか。日本の選手で言えば中田英寿のような。(私見です)

そしてビスマルクを語るうえで避けて通れないのがこの「ビスマスクポーズ」ではないでしょうか。

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敬虔なクリスチャンである彼は、ゴールを決めるとこうして神に感謝していました。このポーズは「カズダンス」と並びこの当時の日本のサッカーシーンにおいて最も広まったパフォーマンス(もちろんビスマルクパフォーマンスとは思ってはなく、少々困惑したでしょうが)ではないでしょうか。

当然のごとく学校での休み時間やもしくは体育の授業などのサッカーの時、街の草サッカーの試合では複数人ビスマルクが現れたのは言うまでもありませんw

川崎ヴェルディに4年間在籍した後、これもまた名門、鹿島アントラーズに移籍。当時まだジーコもアントラーズにいたのかな?まあもしいなくても移籍にジーコの影響があったのは間違いないでしょう。さらに一説にはアントラーズのMF「本田泰人」を大の苦手としており、仲間になってしまえばそれからも解放されるといった思惑もあったらしい。

引退後は代理人事務所を立ち上げ結構な人数の選手の代理人を務めている。知的な彼ならではの選択だ。

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